狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
人が見て自分で正しいとする道があり、 その終りはついに死にいたる道となるものがある。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
悪しき者はその道を捨て、 正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。 そうすれば、主は彼にあわれみを施される。 われわれの神に帰れ、 主は豊かにゆるしを与えられる。
思慮のないわざを捨てて命を得、 悟りの道を歩め」と。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
「悔い改めよ、天国は近づいた」。
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
だから、「彼らの間から出て行き、 彼らと分離せよ、と主は言われる。 そして、汚れたものに触れてはならない。 触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。
だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。
そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。
もし万軍の主が、 われわれに少しの生存者を残されなかったなら、 われわれはソドムのようになり、 またゴモラと同じようになったであろう。
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
その家は陰府へ行く道であって、 死のへやへ下って行く。
そこに大路があり、 その道は聖なる道ととなえられる。 汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、 愚かなる者はそこに迷い入ることはない。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。